2012年8月4日

経済成長は本当に必要あるのか?


ほとんどの企業が基準に使っているのが「前年比」や。
一年前より成長する。
これが目標になっとるな。

なぜ成長せんとあかんのかなぁ?
最近では原発の問題もあって、「エネルギーを大量に使って今より便利に暮らそう!」ちゅう人は少ないんちゃうかな。
むしろ反対に、昭和のころに戻ろうとか、「断捨離(だんしゃり)」ゆうてな、必要なもの以外は持たないって考え方も一部で流行ってるから、消費経済が失速するのは目に見えとるようなもんや。

日本の経済は人間で例えたら50歳くらいのイメージかなぁ。
昭和時代の話がでると「あの頃は良かった・・・」と口を揃えて言うのんは単純に経済も成長期で若かったちゅうことや。
それが今じゃ、そんなに欲もなくなってきた、なんで頑張って働かんといかんのんか、もうゆっくりしたいよ。ってところ。

あの有名な松下幸之助の思想の中に「水道哲学」ってのがあるんやけど、内容は・・・

「産業人の使命は貧乏の克服である。そのためには物資の生産に次ぐ生産をもって、富を増大しなければならない。水道の水は、通行人がこれを飲んでもとがめられない。それは量が多く、価格があまりにも安いからである。産業人の使命も、水道の水のごとく、物資を安価無尽蔵たらしめ、楽土を建設することである」

当時は多くの人に感銘を与えた言葉でもあるんやけどな、現代の人はピンをこんかもしれへんな。
まず、「物資を安価無尽蔵」については、もう達成してるようなもんや。
物資が多くて不満を口にする人もおるくらいやからな。
そして使命である「貧乏の克服」やけど、昭和の生きるか死ぬかの貧乏はもうほとんどないなぁ。
けど現代人はみんな「お金がない」って言うし、「昭和の頃のほうが貧しかったけど良かった」と言う人も中にはおるんよ。

これは受験勉強みたいなもんやね。
「頑張って勉強すればあの学校に入学できる」といって頑張る。
念願かなって目標の学校へ合格する。
それで・・・
それでどうすんの!?
理想とあまりに乖離した現実の壁にぶち当たり・・・

いわゆる「燃え尽き症候群」みたいなもんかな。
企業は頑張って努力して目標を達成した。
だけどなぜか、人間が全て幸せになるという「楽土の建設」は果たされていない。
(まぁ、計画では楽土の建設には250年かかるんやけどな)

本題に戻るけどな、経済の成長はなぜ必要なのか?ってことや。
日本は成長期から成熟期に移ったわけやけどな、世界にはまだまだ若い経済はたくさんあるんや。
もし日本の経済を現状でストップさせといたらな、GDPランキングはどんどん転落やで。
もしかしたらいずれは日本人がアフリカの奥地に出稼ぎに行かなきゃあかんようにあるかもしれん。
そしたらまた貧乏から再出発や。

西暦2200年頃に楽土を完成させるには、世界全体で貧乏を克服せる必要があるね。
そのためには資本経済から早く脱却して、次のステップへ進むことが大切やで~

資本主義からの脱却
エコロジー危機の深化を放置することは、文明の存立条件の継続的かつ深刻な崩壊につながる。富裕階級の虚栄的浪費活動がグローバルな文化モデルを規定し、政治経済を支配する寡占階級=オリガルキーが不公平と貧困と飢餓を生み出している。生物圏の均衡の限界を越えないためには、欧米日などの先進諸国の資源消費量を半分まで下げる必要がある。富裕階級に課税し浪費を止めさせ、資本主義の破壊的メカニズムから脱却することこそが急務である。


こんな本もあったで。

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