2012年7月14日

「フェラーリ使い」の太田哲也と山路慎一の関係

もう10年以上前やけどな、レース中に大きな事故があったんや。
知らん人も多いやろうから、今更ながら書いてみるで。




内容はこんな感じ。

事故は1998年5月3日、全日本GT選手権第2戦中、富士スピードウェイで起きた。天候は雨であった。決勝レース開始時のフォーメーションラップにおいて、ペースカーが先導して隊列を整えスタートするローリングスタートの一周目で、先導するペースカーが最終コーナーから突然加速し、通常より速い約160km/hで走行したため隊列が整わなくなった。路面状況が悪い為、二周周回させて路面をクリアにしようとした。また太田選手が寄稿していた自動車雑誌「Tipo」誌が特集を組んで事故原因を究明した際、事故後にそれぞれのクラスの上位チームからデータ提供の協力を受け提供されたマシンのデータロガーに記録されたデータを検証したところ、最終コーナーから異常な加速をしていたという事実が判明している。その結果レース車両が巻き上げた水幕により視界は「ほとんどゼロ」(自身の証言)という最悪の状況で、後方を走行するGT300クラスのマシン数台がレースのスタートと誤認し加速した。その後、状況を把握した数台が減速したところへ加速してきた更に後方のマシンが衝突、数台を巻き込む多重事故となった。
その中で、太田の前方を走っていた砂子智彦のポルシェが前方の車輌に追突し、パーツを撒き散らしながら進行方向左側、コース外のエスケープゾーンに放り出され、右を向いた姿勢で停止する。追突したポルシェはピットロード出口付近のガードレールに衝突して停止した。その直後、突然視界が開けた際に急減速して来た前方の車両への追突を避ける為に同ゾーンへ逃げた太田の車輌(TFCJフェラーリF355GT)が衝突した。太田の証言では正面衝突を避ける為に、あえてスピンさせ、助士席側から衝突させ衝突のダメージを出来る限り回避させる行動を取ったという。スタート前のためガソリンが満載されていた太田の車輌は爆発・炎上、衝突の弾みによりコース脇のコンクリート壁に弾かれた後、スピンしながらホームストレートを跨ぎ、激しく炎上しながらピットロード出口から200m程先の地点で後ろ向きに停止した。爆発炎上の原因は、衝突の際にポルシェ、フェラーリ共々フロント側に設置されているガソリンタンクが押し潰され、噴出したガソリンが衝突時に生じた火花か何かに引火して爆発したものとみられている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E5%93%B2%E4%B9%9F


ってもんや。
ここまでなら普通のレース中に起きた事故で終わるかもしれんけどな、不運にも主催側の不手際なんぞがあって、状況は最悪な方向に向かうんや。

救助体制に関する批判

出火から30秒で現場到着、消火、救出を済ませなければ、ドライバーの生命は非常に危険な状態におかれる。 したがって、フェラーリが炎に包まれてから最初にオフィシャルが到着するまで1分10秒という時間は、もし太田が完全に孤立していれば、通常ドライバーの生命が危ぶまれる長さであると考えられる。また、多重クラッシュとはいえ、計3台うち2台炎上の事故でレスキュー体制が混乱したと言える。
さらにこの時、サーキット側は「火傷は負っているが生命に支障は無い」と虚偽の報告を病院等に対して行った他、本人がレーシングスーツの下に着用する難燃素材で作られたアンダーウェアを着用していなかった等の虚偽報告を行った。実際には事故当日は着用していた事が確認されている上に、フェイスマスクが収容されたメディカルセンターの前に捨てられており、チーム関係者が回収している。さらに、ペースカーのドライバーは「正規のローリングスタートの速度を遵守し、そんなスピードは出していない」と虚偽の発言を行っていた。前述の「Tipo」誌が提供を受けたデータロガーのデータがそれを否定した形となったが、競技長及びサーキット側はその事実を頑として認めることは無かった。これは後の裁判の争点の一つともなった。
この事故当時の観客が撮影していた映像は、事故後に「オートスポーツ」(三栄書房、当時は隔週刊)の編集部に送られ(後に「Tipo」編集部にも送られた)、各誌紙面を割いて事故の検証記事等が掲載された。また映像証拠として後述する訴訟の際に状況証拠として使用された他、映画「クラッシュ」のシーンにも使用されている。この映像はYouTubeやGoogle Videoにもアップロードされている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E5%93%B2%E4%B9%9F

そんでな、太田哲也を救出を行った山路慎一の証言があるや。

山路慎一の証言

激しく燃えてるものがクルマだってわかって、びっくりして止まったんです。太田選手が乗ってるのがわかって、「今助けるから、頑張れよ」って叫びながら消火器をかけました。車内を消火する時は「消火器かけるから吸うなよ」って声かけて。その辺までは、なんか、自分が無意識に動いてた感じかなあ。それから、呼吸ができなくて苦しいだろうから外の空気を吸わせようと引きすりだしたんです。だけど全然体動かないし、ベルトも締まったままで、まるで意識のないまま炎の中にいたようでした。
その時にオフィシャルが来たから、外に出してもらった。それからは、怖くて太田選手を見れなかった。危険な状態なのはわかってるけど、振り返る勇気がもうなかった。ただもう、誰か早く何とかしてやってくれって思ってたし、そこまでやればドクターなりレスキュー隊が来て、「あとは任せて下さい」って、してくれるのかなあっていうイメージだった。
だけど、救急車は来ないし、オフィシャルはドライバーに適切な処置が出来るような感じじゃなかったし、凄く遅く感じましたね。ボクにしてみたら、「えっ、この状況は何なの?」って。まるでみんな(オフィシャル)はあきらめちゃってて自分一人が必死になってるような孤独感みたいなものがあって、そのギャップの大きさで理性を失ったみたい。レスキューカーのリアに消火器が積まれてるのに、ゲートが開いてなくて取れない。車内のオフィシャルは無線でしゃべってるだけて開けてもくれない。それでレスキュー力ーを蹴っちゃったんです。そしたらかけつけてきたオフィシャルにそれをとがめられた。そのオフィシャルもドライバーを助けるのが先なのに、蹴ったことに対して何か言い続けていて「その件に関してはわかったから、とにかく太田さんを何とかしてやってくれ」って、やりとりをしました。そのオフィシャルが、何であの状況でそのことに凄くこだわったのが、冷静になった今でもよくわからない。現場で「このままじゃ済ませられないよ」って言われて、その後、丁寧にグリッドまでオレを迎えに来たんで一緒に大会事務局まで行って事情を説明したんです。まあ、後日になって主催者から「逆にお礼をしなきゃいけないのに申し訳なかった」という電話を頂いて、その件に関してはもう納得しているんですけどね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E5%93%B2%E4%B9%9F


あとから見れば酷い話かもしれんけど、当時は大混乱だったんやろうな。
そんな中、必死に太田哲也を助けようとした山路慎一はホンマいい人やで。
しかもな、山路慎一と太田哲也の間には直前のレースでちょっとした確執があったんや。

1998年5月3日、富士スピードウェイで開催された全日本GT選手権の第2戦フォーメーションラップ中の事故で、炎上するマシンに閉じ込められた太田哲也を救出する為、車両を降りて、真っ先に消火活動を行った。なお、山路は直前のレースで太田から幅寄せされる形になり、結果的にコースアウト、リタイヤに追い込まれた上にマシンが全損、山路自身も激怒していたという経緯がある。いわば遺恨の相手だった太田を、私事を抜きにして救出した行動には、今なお賞賛の声が高い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E8%B7%AF%E6%85%8E%E4%B8%80


世の中にはな、悪いやつもおるんよ、「ざまぁ見ろ!」って思うやつもおるかもしれん。
だけどな、山路慎一は「無意識のうちに助けようとしてた」ってゆうやから大したもんやで。
上の動画の最初に出てくる黒いレーシングスーツ着ているのが山路慎一なんやけど、必死さが伝わってくるな。
っていうか彼以外は誰も動いていない。

モータースポーツになんの関心もない人だって、「クラッシュ」は読む価値は十分にあると思うで。
悲惨な事故やったかもしれんけど、この事件がなかったら山路慎一も太田哲也も長い間語り継がれることもなかったかもしれないしな。
人生いつ何が起こるか分からんでー!

事故のあとに「鏡に映った自分の顔を見て自殺も考えた」っていう太田哲也も今では以前にも増して精力的に活動してるちゅうんやから、とりあえず頑張ろうや熊ちゃんもな。


ちなみにな、事故のあった5月3日は偶然にも山路慎一の誕生日やで。
ほんとうの偶然なのか、それとも・・・?

1 件のコメント:

  1. ちなみに事故直後消火器を持って駆けつけたチームスタッフはピットロードエンドで止められました。
    それぞれが自分の責務を果たし、動きたくても動けなかった事実もあるのです。

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